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努力と成果

 20代の頃、私は、努力という言葉が大嫌いだった。努力云々という言葉を使っている場面では、しばしば、「聞く人、あるいは読む人に対して暗黙のうちに努力を強要する」面があったからだ。努力をするか否かの決断は私自身にあり、人から強要されるものではない。もっと言えば、賢しげに俺に努力を要求するな! という、私のプライドもあった。

 ただ40を過ぎて、近年つくづく思うのだが、自分が手にしたものは、結局、自分の努力によって得られたものだと実感した時、「やはり努力は正当に評価される。そして、努力した方が成果は確実に得られる」ということを再認識した。

 さて、訳のわからない出だしだが、少しわかりやすい話にしてみよう。  私は、特に彼女の件において、やっかみを受けることが多い。まぁ、うらやむ気持ちはわからないではない。そもそも彼女や彼氏、パートナーがいない人は多いし、仮にいても、私ほど、お互いに信頼度が高いパートナーがいる人は、もっと少ないだろうからだ。彼女の若さも加えて、彼女に対する、あるいは彼女が私に対して持っている絶大な信頼関係を見て、そりゃぁ普通にうらやましいだろうとは思う。ツイてると思うかも知れない。でも、昨日だんぷと話してみて、改めて反論したくなった。「これは、正当な努力の対価だ」と。

 言い方は悪いが、私はもともと女好きだった。付き合った女性の数も2桁を超える。それをやっかむ人間もいるし、「ただ数をこなしただけか」とあしざまに言う人もいる。でも、たくさんの女性と付き合ってきて、私は、「いい思い」ばかりしてきたわけではない。それだけ付き合ったということはつまり、同じだけの別れもあったということだ。何回経験しても、「別れ」の辛さに慣れることはできない。また、私が惚れた女性全員と付き合ったわけではなく、当然、付き合う前に手ひどく突っぱねられた経験もある。

 でも私は、表面的には、数をこなしただけの遊び屋に見えるだろうが、その時その時は、本気で、真剣に付き合ってきた。だから古傷も多いし、今の彼女にたどり着く数年前から、「今度こそ、新しい女性と付き合うのは、これで最後にしたい」「今度こそ、ゴールにしたい」と、真剣に切望していたし、それでも別れてしまう自分の現実に、深く苦しんでもいた。だから彼女に出会えたことは本当に幸福だし、幸運だったとも思う。最後の最後に、運良く最高のパートナーに出会えた、それは確かだ。

 でも、彼女に出会えたのは幸運だとしても、その幸運をモノにできるかどうかはまた別の問題だ。その点において、私は、自分自身の経験と、自分自身の「思い」があったからこそ、幸運な出会いをモノにできたのだと思っている。どんなに幸運な出会いがあっても、モノにできなくては何の意味もない。

 だから例えば、「出会いがない」という不平を言っている人に対して私は思う。「だったら出会いを作れ」と。また、「好きな人がいるんだけど、どうやってアタックすればいいんだろう」と悩んでいる人に対しては、「悩んでる暇があったらアタックしろ」と。挑戦なくして成果が得られると思うか? 甘えるのもたいがいにしろ。

 私は、女性と付き合う経験を経て、苦しんだこと、頑張ってきたこと、自分の努力と、ちょっとした幸運のおかげで、彼女をパートナーにすることができたのだと思っている。何が言いたいかというと、確かに幸運はあるにしても、彼女に出会えたのは、正当な、「努力」という対価を支払ってきたからこそだ、ということだ。

 やっかむのは結構だが、悔しかったら、私のことをどうこう言うな、自分の努力をしろ、ということ。私のことをどうこう言って、アンタの女性関係に道が開けるのであれば、その発言の正当性を認めてもいい。だが、私をあしざまに言っても、アンタの利益には全くならないわけだ。自分の縁は、自分の努力によってのみ切り開かれる。であれば、不平不満を言う暇があったら、正当な努力をしろ、と言いたい。

 昔、私が鉄拳3で強かった頃、ナムコ公式大会で、私は、東京地区予選敗退に終わった。まぁ、初戦敗退ではないので、そんなに恥じるほどひどい結果ではないと思うけれど。 当時私は三軒茶屋の某ゲーセンを根城にして、そのゲーセンで仲間を作り、お互いに切磋琢磨していた。私はそのゲーセンで3番目に強かったわけだが、1番強かった人が東京地区予選で準決勝敗退だったので、妥当な結果だったのだろうと思う。その時に思ったことを1つ。

 努力なくして結果はついてこないが、同じ努力をしても、結果の大きさは人によって違う。

 結局その鉄拳3世界大会で優勝したのは韓国のプレイヤーだったが、仮に私が、その人と同じだけの努力をすれば、世界大会に優勝できたか、と問われるならば、絶対に無理だったと答える。言うまでもない、素質や素地は、人によって違う。これはしょうがないと受け入れるしかない。

 さて今私はその「努力」を、仕事に対して最も大きく支払っている。私の、ロクでもない転職人生を知っておられる方は少ないだろうと思うけれど、これはこれで苦労もあり、その時その時、頑張ってきたことは否定されるものではないとも思っている。今私が最も「結果が欲しい」と切望しているのは仕事であって、そのために努力している。たぶん、来年には、欲しかったその「結果」が、運が良ければ手にできるだろうと思っている。

 さっきから、何度も同じことを繰り返し書いていることに気付かれた方もおられるだろう。恋愛でも、ゲームでも、仕事でも、何でもいい。本当に結果、成果が欲しいのならば、そのために努力する以外に方策はない。そして最後に、努力してきたが故に得られるちょっとした幸運の女神の微笑みが追加されて、「望むべき結果」が手に入る。人生において、これ以上の真理は存在しない。

 敢えて蛇足を付け加えるなら、人の持っている「成果」「結果」をやっかみ、陰口をたたいたり悪口を言うことにエネルギーを費やしている人間が、「人生において自分が欲しい結果、成果」を手にすることは、ない。たぶん一生ない。そんな暇があったら、努力することに時間を使え、とも私は言いたい。まぁ言っても理解できないだろうから、まさにこの段落は蛇足に過ぎないのだけれど(苦笑)
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この記事へのコメント

- ナギ - 2007年07月16日 02:17:03

お久しぶりです

私の最も嫌いな言葉は「努力」と「負けず嫌い」です
私は出来るだけ楽して生きていきたいですからねw
まぁ残念ながら私自身には楽をして生きていける術が無いからもがくしかない
それだけの事です
そして「努力」とか「負けず嫌い」という言葉は私にはと~っても薄っぺらい言葉に聞こえてしまいます
立場上、新入社員の採用の面接もさせて頂いてますが「努力」と「負けず嫌い」を口にされる方は不採用の方向で考えてます
てか、言葉を返せばそんな行為は当たり前の事であり、いちいち口にするレベルの方は要らないという事なんですw


私は人生は「全て運」で決まると思ってます
外見も内面も才能や資質を持って生まれるかなんてものは運以外の何物でもないですからねw
努力ですか?立派な才能だと思いますよ
その才能を持って生まれるかどうかなんて運ですよw

だからこそ「オレーツエー」する人間が哀れで滑稽にしか見えなくて仕方ないのです

彼女ですか?作るだけなら生きてるだけで普通なら出来て当たり前です
それが出来ないのは生き方が根本的な部分からおかしいだけです
別に頑張って作るものでは無いと思いますがねw
どうでも良い女なんて人生の足枷になるだけですから
(^^;)

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