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多少は丸くなったかな?(超長文注意)

 まぁ、あまり自信は、ないけどね(苦笑)

 ストレスが溜まった時に、瞬間湯沸かし器のように激発する性格が改まったわけじゃない。激発の次の段階として、さらに苦境に追い込まれると、今度は貝になって口を閉ざし、黙り込む。不快感を全身からオーラとして放出しながら(^^;) それが改まったわけじゃない。

 でも、その状態からの立ち直りは、早くなった気がする。  今年、新採教育担当として、専門のインストラクターが私について、週1回、1日の全行動を見張られる。ついでに、超辛口コメントを、毎週のようにもらっている。週1回の約1時間の「ダメ出し」は、恐怖ですらある。
 この人がまた、実に、ものの言い方が嫌みったらしい。「これくらいできて当たり前」という前提で話をするから、最初から要求水準が高く、言い方も「上から目線」で、全く容赦がない。情けのカケラもない。ほめることも、フォローも全くない。ただ一方的にダメ出しするだけ。
 これでは、いくら言っている内容が正しくても、いや、言っている内容が正しければ正しいほど、聞く方はストレスが溜まり、反発する。それは自然なことだと思う。聞く側としては、素直に聞くのに、相当な精神力を必要とする。

 でも、この人との付き合いは、長くて1年。新採の1年が過ぎればおさらば。それまで我慢すればいい。だが、今の職場の問題は、それだけではない。

 こういう職場にありがちなことではあるが、ベテランの女性は、おおむね「性格がキツい」ことが多い。男女差別の少ない方な職場だとは思うが、それでも、十数年、あるいは数十年にわたって、男性上位の社会と闘って働き続けてきたのだから、そういう属性が備わるのはやむを得ないことではあると思う。同情すべきなのかも知れない。

 だが、そういう人の舌鋒が、私の方に向いてきた時には、やっかいこの上ない。先述のインストラクターも女性のベテランだから、同種の人間であるわけだ。まぁ、この種の人たちは、口で正しいことを言いつつ、そしてちゃんと、言っている内容を追求されないような予防線を張りつつ、行動が伴っていない。言行不一致を地で行っている。

 「身体を壊したら元も子もないから」「倒れられたら困る」と言いつつ、睡眠時間を削って仕事に「隷属」していることを誇る。それは単なる自己満足、マスターベーションでしかないと私は思うが、彼女らにとっては、そうやって我が身を守らなければならないような、今までの労働環境があったのだと思う。それは大いに同情に値する。

 だが、こっちに噛みつくな、とは言いたい(苦笑)

 私は、村上春樹の「ノルウェイの森」が好きだし、もう10年以上にわたって、自分の中でずっとナンバーワン小説であり続けている。そして今でも、読みながら、いろんなことを学び、納得させられる。

 「ノルウェイの森」の中の登場人物である、「永沢さん」が、私は決して好きではないけれど、彼が「努力」について語るところなどは、真実を突いていると思う。少し引用してみる。
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 僕はあきれて永沢さんの顔を眺めた。「僕の目から見れば世の中の人はずいぶんあくせくと身を粉にして働いているような印象を受けるんですが、僕の見方は間違っているんでしょうか?」
 「あれは努力でなくてただの労働だ」と永沢さんは簡単に言った。「俺の言う努力というのはそういうのじゃない。努力というのはもっと主体的に目的的になされるもののことだ」(「ノルウェイの森」講談社文庫下巻103ページ)
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 公務員のことを英語で、「public servant(公僕)」と呼ぶ。すなわち、公のもの(public)に仕える奴隷(servant)というわけだ。この単語には、公務員に対するいろんな歴史的教訓が含まれていると本気で私は思う。日本語の「公務員」より、よほど良心的で、示唆に満ち、適当な呼称だと私は思う。思うけれども、だからと言って自分が、労働の奴隷になることを肯んじるつもりはない。

 私は、労働とは、自分自身の福祉のために行われるべきものだと思っている。そうでなければそれは、労働という名を借りた「隷属」に過ぎない。
 私は、徹夜をしただの、1日何時間睡眠に耐えているだの、そういう話を美談だとは全く思わない。全く逆で、私はそういう人間を、「自分の労働時間をコントロールできない労働の奴隷」だと思う。だから、睡眠時間を削り、休日出勤までして働いている現状に、満足しているわけでは全くない。上司、職場の人間関係、そういうもの全てをコントロールして、自分が遊びたい時に遊ぶ時間と金を捻出できる者こそ、「努力」している、「主体的な労働者」だと思っている。自分はそうなりたいし、今週も、毎日ほぼ3時間睡眠に耐えている自分を、そして、明日も休日出勤せざるを得ない自分を、苦々しく思いながら見ている。いつか、こんな無茶な働き方をしないで済むような能力と、経験と、人間関係を手に入れたいと思っている。

 一応言い訳しておくが、子供に対して誠意を尽くすことと、自分の福祉のために働くこととは、矛盾なく両立できると私は思っている。それを実現できる者こそ、努力している労働者だと私は思う。

 かなり脱線してしまったが、今の職場で「ウザい」と思っているベテランの女性は、私と同じ英語科で、しかも、昨年度に転勤して今の学校に来た。ということは、短く見積もっても、向こう3~4年は、この人と一緒に働かねばならない。まして同じ英語科、関わりを持たずに働くことは不可能だ。

 というわけで私は、この人に、「これは接待だ」と思って接することにした。マトモに対峙すれば、不快感を感じざるを得ない。だが、向こう何年も一緒に働く人間に、ずっとマイナス感情を持ち続けるなど、愚か者のすることだ。自分が一歩引いて、相手を立て、必要な意思疎通はきちんと保てるようにする。それが今の自分に求められていること。そうしないと、自分の仕事にも悪影響が及び、自分の過剰労働を積み増すことになりかねない。

 というわけで、ここ最近の私の不快感、ブチ切れ、憔悴の原因となっているこの2人の女性に対して、1人は「どうせ1年だから」と、1人は「社内営業をしているとみなす」というスタイルで接することにした。

 一度は逆上もしたし、失望もしたし、心が折れもした。それは今まで通りの私だけれど、立ち直りは、今までに比べれば早いと思う。それは1つには、「どうせこの職場からは逃げられない」「今の職場で安定して長く働くことこそ、今自分が自分に対して定めた目標であり、これを放棄することは、今までの苦労、努力を無駄にすることになる」という思いがあるからだろうと思う。

 私が私である以上、瞬間湯沸かし器的激発も、時に大きくヘコむことも、たぶん避けられないのだろうとは思う。でも、そういう自分との付き合いの上で成長したと思えるならば、それはそれで良いのではあるまいか。

 働いていて、どこまでが「奴隷的労働」で、どこまでが「主体的努力」かを見極めることは、実は結構難しい。頑張って働いたあとの達成感は、確かに存在する。無理して頑張って働けばそれだけ、オフの時間も充実感を得られる。実際今日は、結構楽しい「オフ」を過ごしてきた。どうせ休日出勤は見えているのだからと、適当に切り上げ、少し、慣れない酒を飲んできた。こういう時に息抜きで飲む酒は、基本的に酒に弱く、ほとんど下戸である私にとってさえ、「うまい」と感じさせるものがある。

 なかなかに、人生とは奥が深いものだと思う。私自身は、この歳にしてなお、成長を続けることができている自分を見て、少しホッとしているのも確かではある(^^;) 成長のない人間はつまんないもんねぇ。
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